あしたがくるまえに

真剣30代しゃべり場

名前

 

 


昨日、久しぶりに結構長い夢を見た。内容ははっきり覚えてないけれど、ちょっと前に好きだった人が出てきて、ちょっと前みたいにわたしの名前を呼んでいた。

わたしの名前はめちゃくちゃ平凡だと思う。

苗字も、名前も、その組み合わせも、ものすごく平凡。だけど、わたしは自分の名前がわりと好きだ。めちゃくちゃちょうどいい名前だから。

キラキラでもなく、シワシワでもない。見た目とのギャップでからかわれることもないし、性格と違いすぎることもない。ちょうどいい名前をつけてくれた親に感謝している。

 

昨今の日本人には、その名を聞くと己の耳を疑ってしまうような名前の子どももいる。だけど、それは名前を付けた両親の意図だし、それも運命だ。どんな名前で、周りがどう思おうと、本人は気に入っているかもしれないし、好きな人にその名前を呼ばれれば嬉しいはず。他人が口を出すのはナンセンスかもしれない。

ただ、名前負けだけはちょっと恐ろしい。自分は何も悪くないのに相手をガッカリ、最悪ドン引きさせてしまうことだってある。

だけど「名前負け」があるなら、「名前勝ち」というものもあるかもしれない。

 

わたしが中学生の頃通っていた塾に、中川先生という英語の先生がいた。中川先生は控え目に言って、ものすごい美人だった。

上品な茶色に染められた長い髪はツヤツヤしていて、そんなに濃いメイクではないのに、肌は透き通るように白かった。鼻筋が通って目はぱっちり。スタイルがよくて、オシャレで、いつもいい匂いがした。そして、美人なのに全く気取らない気さくな人だった。

ところが、そんな中川先生の下の名前を誰も知らなかったのだ。一緒に英語の授業を受けていたのは女の子ばかりで、みんな中川先生に憧れ、先生のことを何でも知りたがった。

だけど、中川先生は何度聞いても「恥ずかしいから教えない」と言って下の名前を教えてくれなかった。

わたしたちが中2の半ば頃、中川先生は英語の先生を辞めることになった。今考えると、寿退職だったのかなあと思う。わたしは、そのとき初めて中川先生の下の名前を知った。

中川先生は、「和」と書いて「かず」と読むシンプルな名前だった。先生曰く、自分の名前が地味で男の子のようでずっと嫌いだったそうだ。当時、先生の名前を「すごくオシャレでかっこいい名前なのに」と思ったことをよく覚えている。

これって「名前勝ち」ではないだろうか。平凡だったり地味な名前でも、人の魅力で名前まで魅力的に見えてしまうなんて、相当クールだと思う。

 

名前について色々と考えてしまったけど、突拍子もないものでない限り、名前なんてまあそこまで人生には関係ないと思う。平凡でも華美でも、その人が有無を言わさず素敵な人物ならその人生にケチはつかない。

もし自分に子どもが生まれたらどんな名前を付けるのだろう、なんてたまに思ったりする。まあ、できる予定のない我が子の名前について考える前に、わたしにはもっとたくさんやることがあるけど。

もう名前を呼ばれることのない人の夢とか見てないで、街コンでも行くとかね。