あしたがくるまえに

真剣30代しゃべり場

年の瀬、ヒッチハイク事件に思う

2021年が終わるまであと1か月を切った。

今年の冬は暖かくて、野菜がめちゃくちゃよく育っているらしい。スーパーに行くと、葉もの野菜やニンジン、大根なんかがまあ安い値を付けられている。職場では社割でオーガニック野菜が投げ売りされていて、ニンジンが1本5円、大根が1本20円、でっかい白菜が1玉50円で売られている。よく「オーガニック野菜は味が濃い」という消費者の声を聞くけれど、正直私には野菜の味の違いはよくわからん。鍋に入れてぐつぐつ煮込めば、農薬たっぷりのツヤツヤした大根と、でこぼこのオーガニック大根の見分けは私にはつかない。母が作るあまーいゆずみそをつけて食べるとどっちもうまい。

 

先日、先輩にフリーマーケットの売り子のお手伝いをさせていただく機会があったので、私もCDを何枚か置かせてもらった。実家にCDを取りに帰ると、彼らはサブスクの文化になってからもう何年も聴かれず、誰もいない実家の子ども部屋にひっそりと並んでいた。

ゆら帝とかoasisとか、7枚くらい売れたけどほとんど残った。高校生の時に聴いていたナンバガとかボアダムスとか、フジファブリックとかバンアパはひとつも売れなかった。200円とか300円の値札をつけながら、10代のころを思った。

狂ったようにナンバガを聴いていた頃だったと思う。私は高校1年生のときに学校をさぼった。普通の顔をして家を出て、学校へは行かず、徳島城公園で1日中昼寝した。すぐに母親にバレて、めちゃくちゃ怒られるだろうと思いながら帰宅したのだが、あまり怒られなくて拍子抜けしたことを覚えている。そのあと母に「休みたい」と言うと、母は父を説得し、無条件で2日間学校を休ませてくれた。私は、3日間のプチ不登校を経てすっきりと復帰した。

当時の心情は思い出せないけれど、たぶん、上がらない成績とか人間関係とか、いろんなことが全部嫌になった瞬間だったのだと思う。今思えば、子供のころから私はストレスを1人で溜め込んで、1人で爆発させるタイプだった。

 

幼少期のできごとで、家族から「ヒッチハイク事件」と呼ばれるエピソードがある。

私が3歳、もうじき4歳になろうとするころ、保育園で、1つ年上の女の子をリーダーとするグループからいじめられたことがあった。スカートを履いていると文句を言われたり、人気のある男の子と遊ぶととりまきから告げ口され、ハブられたりしていた。その年齢で、すでに女の嫌なところを結集したようなやり方をしていることに辟易する。母親がコーディネートしてくれるスカートやワンピースを「さむいから」と断ってズボンを選んで登園していたことを覚えている。おそらくめちゃくちゃストレスを溜めていたけれど、なぜか誰にも言わなかった。

そして、何の前触れもなくあの朝、その爆発がやってきたのだ。

母はその朝、いつもより早く出勤していたのだと思う。父か祖母に保育園まで送ってもらうところを、私は1人で外へこっそり抜け出し、10キロ近く離れた母の職場を徒歩で目指した。とんでもない3歳児である。

家を出てしばらく進むと、細い道から交通量の多いバイパスに出て、3キロくらい歩くと長いトンネルがある。このトンネルを通らなければ、母の職場には行けなかった。

トンネルの少し手前で、お兄さんが大きなトラックから駆け下りてきて「どうしたん1人で」と声をかけてくれたのを覚えている。私は、「お母さんに言いたいことがある」と答えたらしい。

「どこまで行くの」と聞くと「●●小学校まで行く」と3歳児が答える。「遠いけど1人でいくの?1人できたの?おうちの人は?」と何度か質問を投げかけても「お母さんのところまで1人でいく」と、キリっとした顔で3歳児が答える。やばすぎる。

そのお兄さんは、仕事に向かう途中だったけれど、明らかに危ないと判断し、そこで車に乗せて母の職場まで連れて行ってくれたという。これが私の人生最初で最後のヒッチハイクである。

この方は本当にいい人だったけれど、人によっちゃめちゃくちゃ危なかったと思う。お兄さんとは、毎年年賀状をやり取りしている。昨年娘さんが結婚したらしい。

父と祖母は乳児の弟をお隣に預け、2人で罵り合いながら死に物狂いで私を探したらしい。職場に連絡が入り焦っていた母のもとへ、お兄さんに抱かれて私が到着した。私はその時はじめて母親が泣いた顔を見て、そのあと家に帰って、泣きながら怒っている般若のような父親の顔も見た。その父の顔が死ぬほど怖かったのか、私はしばらく父に近寄らなかったそうで、本当に申し訳ない。

祖母にもめちゃくちゃ怒られたが、祖母はその日仕事を休んで1日中私を抱っこしていたし、母は、私がそれを拒否する日まで、毎日私を抱きしめて寝た。

 

 

母は今でもこのヒッチハイク事件やプチ不登校を例に出し、ときどき思い出したかのように「なんでも爆発する前にお母さんには言いなさいよ」と言う。

徳島に帰ってきて実家暮らしをしていた20代のころは、夜中に急に思い立って何も言わずに1人で九州に行ったり、東京に行ってみたり、誰に何の相談もなくルームランナーを買ったりして小爆発をしていたけれど、ここ数年、私はちっとも爆発しなくなった。

弟も結婚し私も家を出て、本当に子育てが終わって手が離れた感じがして、母はここへきてちょっと寂しいらしい。

ゆうべ寝る前に「お正月はおいしいおせちがあるし、もうお正月ゆっくりできるの最後なのに、手ぶらで帰ってきたらいいよ~」というLINEが届いていたので「大根とお酒持って帰るからゆずみそ作っといてほしいな」と返信した。

 

私、爆発しなくなったんよお母さん。ちんたら大人になってごめんね。

 

 

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