あしたがくるまえに

真剣30代しゃべり場

2017

 


ブログを書いてみる。
新年明けて2週間とちょっと。
年明け早々、ダメージを食らうようなことは山ほどあるのにいいことはまだひとつもない。

グニャグニャのメンタルを鍛えようと読んだ、百田尚樹「鋼のメンタル」は本当に気休めにしかならなかった。年始からこんなスタートで今年の自分は大丈夫なんだろうか、と考えてしまう。

 

 

去年の夏、父が病気をした。
生きるか死ぬかだった。
長い手術を何度も受けて、父の心と身体はみるみるうちに弱ってしまった。

たぶん、父はずっと自分を責めている。タバコとお酒。自分の不摂生で病気になったことで、家族にも職場にも迷惑をかけてしまったと悔んでいるのだと思う。

毎晩ビールを3缶、仕上げは芋焼酎のお湯割りが父の定番だった。弟と3人で、冗談を言い合いながらよく一緒にお酒を飲んでいた。

父は、飲めない訳ではないのに、大好きだったお酒を一滴も飲まなくなった。冗談もあまり言わなくなって、代わりに、薬を飲んではため息を吐くようになった。

地獄みたいな夏だった。病院で母が泣いているのを見るとわたしも涙が出た。悲しくて出た涙ではなく、自分が情けなくて出た涙だった。

病気について調べたり、担当医の先生や栄養士の先生の話を聞いて料理をしたり、間接的に協力することはできても、直接母を励ますことができなかったからだ。母に何度も抱き締めてもらって生きてきたのに、わたしには母を抱き締めることができなかった。

ここぞという時に「大丈夫だよ」のひとことも言えない、親を守れない、お子ちゃまサイズの器しか持ち合わせていない。それが今のわたしだった。

 


友達やまわりの人たちがどんどん結婚して、頼もしい親の顔になっていく。親になれるって、立派なことだ。

25歳。親になっても決して早すぎることはない年齢だと思う。わたしも、いつまでもこのままというわけではいけないはずだ。

基本的にわたしの生き方は何に対しても受け身だ。そのくせ、文句だけは一丁前、いや、人一倍言う。見た目は大人、中身は子ども。恥ずかしいことに、それをうまく隠せているつもりでいた。そして、まだそれが通用していた部分があった。今までは。

わたしはまだまだ、誰よりも自分が一番かわいい。きっと、大人からすれば未熟な人間だということは一目瞭然だろう。そんな今、やっと自分が大人になっていくことに向き合えつつある気がしている。精神的にもそうだし、物理的にもそれを感じることが多くなったから。

メイクをするとき、ファンデーションがうまくのらない朝がある。疲れが1日では取れない。腰回りについた贅肉がなかなか落ちない。

両親が急に歳をとった。年の割に若いと思っていた母の顔にも皺が目立つようになった。父の髪は根元からどんどん白くなった。やつれて小さくなった身体は、元に戻らない。

 


きっともう、いいことがやってくるのを待っている受け身のままではダメなのだ。自分の足でしっかり立って、自分で手に入れなければ、きっとこのままわたしはずっと大人になりきれない。そんなのでは困る。

だけどわたしは、落ち込んだり悩んでしまうことをやめない。やめられない。だからこそ、それでも踏ん張れるタフな大人になってゆきたい。

今年の目標。