あしたがくるまえに

真剣30代しゃべり場

魔女宅

 

 

 

わたしは『魔女の宅急便』という映画作品が大好きだ。何回観てもいい。
こないだ金曜ロードショーでやってたのを録画で観て、やっぱりいいよな〜〜となったので、過去の殴り書きしてた下書きにちょっと加えて。

 


魔女の宅急便』の主人公のキキは作中で、基本的には明るく活発なキャラクターとして描かれてはいるけれど、思春期の少女としてのリアルな「闇」の部分も多く描かれているように思う。
キキは、彼女の存在そのものや、自分行動によって返ってくる周囲の人間からのリアクションを異常に気にする傾向がある。これは、現実の思春期の少女としてはよくあることだ。周囲からの自分への評価に対して悩み、もがいて大人になっていくのが思春期というものだと思うから。
宮崎駿は、この思春期特有の「闇」の部分をキキというキャラクターの成長の過程でリアルに描き出している。そして、この「闇」の部分を乗り越えてゆくことは、「通過儀礼」としての役割を果たしており、キキが大人になっていく成長物語のストーリーが構成されている。
キキは、周囲から「いい評価」を得られることを善しとしていて、それを常に求めている。これは至極当たり前の感情ではあるけれど、その感情にキキは振り回され、それゆえに「闇」の部分が色濃く見え始めるようになっていく。

 

キキが独り立ちをして、コリコの街に到着してすぐ、その片鱗は見え始める。冒頭からここまでのキキは、自分が「魔女である自分」を少なからず誇りに思っていて「魔女としての自分」に無意識的なアイデンティティを見出しているように見える。
ところが、コリコの街でキキはそのアイデンティティは打ち砕かれることになる。誰からも大して歓迎されることはなく、ましてや空を飛ぶことを注意され、ホテルに泊まるにも身分証明を求められ路頭に迷う。コリコの街ではキキが「魔女」という肩書きは何の役にも立たなかった。これが、キキにとって1度目のアイデンティティの喪失。

出鼻をくじかれ途方に暮れているところで、キキはグーチョキパン店のおソノさんと出会う。パン屋のお客様の忘れ物を届けるという「初仕事」をすることで、キキはこの街に来て初めて評価される。この場面で、キキの中では「魔女である」という肩書きだけのアイデンティティの崩壊を経て「魔女として人の役に立つ」ことでのアイデンティティの確立が無意識的になされている。
そうしてキキは「魔女の宅急便」を始めるのだが、ここでキキには変化が生まれる。住み込みで宅急便の仕事を始めたキキの言葉に「私、空を飛ぶしか能がないでしょ?」というものがある。これはキキがここで、自分の能力と向き合えるようになり「魔女である」という無力な誇りから抜け出したものだとわたしは思っている。
このあと、キキは絵描きのウルスラとも出会い、初めて正式に依頼された仕事を成功させ「いい評価」を得られたことで喜ぶのだが、しかし、ここから順風満帆な生活が始まるのかといえばそうではない。ここから描かれ始めるのはキキというキャラクターの持つ、思春期の少女の「闇」の部分。
ある日、仕事で訪れた老婦人の家で、キキは孫娘の誕生日を祝うためのニシンのパイ作りを偶然手伝うことになった。このときのキキはとても元気にひたむきに、業務内容から外れた仕事に取組み「いい評価」を得ようとする。パイは無事完成し、老婦人から感謝されながら、豪雨の中を急いで届けるが、ここで出会う孫娘の態度はキキの心をひどく傷付ける。孫娘の冷たい態度と「このパイ嫌いなのよね」というリアクションが、キキの中でひとつの評価となってしまったから。
落ち込んでしまったキキは招待されていたパーティーにも間に合わず、豪雨で濡れたまま眠ったために高熱を出す。
キキは精神的に非常に打たれ弱く、ナイーブ。これも、思春期の少女のひとつの特徴であると言える。そして、このころからキキの魔法に陰りが見え始める。

風邪をひいてから落ち込んでいる様子のキキを励まそうと、オソノさんはトンボのところへお使いを頼む。そこでキキはトンボと2人で自転車に乗り、不時着した飛行船を見に行くのだが、トンボの友人たちがやってきて「一緒に飛行船の中を見に行こう」という誘いを受ける。
ここでもキキは素直になれず、またトンボに冷たい態度をとってしまう。ここでのキキの冷たい態度は、トンボに対する嫉妬と、新しい人間との関わりを拒絶してしまう感情とが入り混じったものではないだろうか。ここでも思春期の少女像が現れているのだが、この時、キキはトンボに対して恋愛感情が芽生えていたと言えるだろう。恋をしたことで、13歳の少女はいっそう不安定になっていく。その後、キキはジジの声が聞こえなくなっていることに気付く。そして、相次いで彼女は箒で空を飛べなくなってしまう。陰りを見せていた魔法の力が、ここで完全に消えてしまうのだ。飛べなくなったキキは「魔女の宅急便」を一時休業し、思春期最大のスランプに陥ることになる。

 

キキの魔法の力はなぜ急速に失われてしまったのか。これに関しては先行研究やインターネットでの意見交換などがされていて、数多くの説があるのだけれど、その中に、キキが飛べなくなった原因はキキの「少女から女性への変化の過程」であり「初潮」のメタファーであるという説がある。
これはトンボへの恋心の現れからも読み取ることができるだろう。恋をすることで少女は大人へと近付き始める。
先ほども述べたように、思春期の少女は不安定であり、特にキキはそういうキャラクターとして描かれている。もしも「初潮」のメタファーであるならば、少々生々しい考察にはなるけれど、初潮を迎えたことによる身体的苦痛(PMS)を経て、キキは精神的に不安定になり、トンボに急に冷たい態度をとったりする点にも現れているとも考えられるかもしれない。だけど、ここまで宮崎駿が考えていたのかと言われれば、少し考えすぎで、強引な説のような気もしてくる。
キキの「魔法の力」は全て失われてしまったわけだけれど、ここで重要視したいのは、空を飛べなくなってしまったことよりも、ジジの声が聞こえなくなってしまったという点。キキにとってジジは、幼いころからずっと一緒に過ごしてきた一心同体のような存在として描かれている。ジジを人間のキャラクターに置き換えて考えてみれば分かりやすいかもしれない。
これまでずっと、同じ環境で同じように育ってきたキキとジジだけれど、ここで初めて、自分が恋をした相手への態度で差が生まれているのである。キキは、恋をした相手であるトンボに対して意に反してうまく接することができずに溝を生んでしまう、いわばまだまだ子どもということ。
対してジジは随分と大人だ。最初こそ、お高く留まっている美しい白猫に対して敵意を露わにしていたものの、結果として、自分が惹かれた白猫とうまく距離を縮め、恋を楽しんでいる。これは、キキと比べてジジの方が先に大人への階段を登ってしまったということだと思う。キキとジジ、一心同体の思春期の「闇」を先に抜けたのはジジだった。

 

 

キキは、空を飛ぶ魔法と、ジジと話す能力の2つの魔法の力を失った。特に、ジジとのこれまでの一心同体のような関係が失われたことで、2度目のアイデンティティの喪失を経験することになった。
ここで、キキはまた新たなアイデンティティを見出すため、変化、成長せざるを得なくなる。ここで彼女にとって重要な役割を果たすのが、画家の少女ウルスラ

ここで、キキとウルスラの関係性について考えてみる。

◎キキ
13歳となり、「魔女の掟」とされる独り立ちの日を迎えた活発な少女。キャラクターデザインとしては、ショートカットで小柄な活発な少女として描かれており、赤い大きなリボンがトレードマーク。作品冒頭では薄緑色のワンピースドレスにサーモンピンクのエプロンを着用していたが、独り立ちしてからは「魔女の掟」に則り、黒いワンピースドレスしか着用しなくなっている。箒を利用して空を飛ぶことだけが、魔女としての彼女の唯一の取り柄である。自分の特技である箒での飛行を利用して宅配業務を行う「魔女の宅急便」を開業し、様々な経験を通じて悩みながらも成長していく姿が描かれている。
作中でのキキの声は声優の高山みなみが担当している。

ウルスラ
森の中の小屋で絵を描くことに没頭する画家で、19歳の少女である。キャラクターデザインとしては、少女というよりも、ある程度大人になった女性的な体型で描かれているが、女らしいというわけではない。(少々中性的に描かれているところもあるかもしれない。)いつもタンクトップにショートパンツという軽装である。ロングヘアーを高い位置で結んでポニーテールにしている。キャラクターデザインの印象の通り、明るく活動的であり、潔さのある少女として描かれている。キキが宅配中に落としてしまった荷物を見つけ、宅配の手助けをしたことがきっかけでキキと仲良くなり、お互いの家を訪ねあうほど仲良くなっていく。「ウルスラ」という名前は公式設定であるが、劇中では1度も名前で呼ばれていない。
作中でのウルスラの声は、キキと同じく声優の高山みなみが担当している。

 

ウルスラは、アイデンティティを失い宙ぶらりん状態のキキに、新たなアイデンティティ確立の手助けをする大切なキャラクターだ。なぜなら、ウルスラもまた、キキと同じように思春期の「闇」を抜け出してきた経験があるから。ウルスラは、悩めるキキを家に泊め、眠る前にキキと話すのだが、このシーンでのウルスラは、キキの思春期の「闇」の部分の代弁者のように見える。

「私さ、キキくらいの時に絵描きになろうって決めたの。絵描くの楽しくってさ、毎日寝るのが惜しいくらいだったんだよ。それがね、ある日、全然描けなくなっちゃった。描いても描いても気に入らないの。それまでの絵が、誰かの真似だって分かったんだよ。どこかで見たことがある!ってね。自分の絵を描かなきゃ、って。」
「魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。神様か誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ。」

これはウルスラの語りでもあり、キキの心の叫びでもある。この時のウルスラとの会話中で、キキは「魔女は血で飛ぶんだって」という発言をしている。おそらく、キキは「魔女の血」と向き合うことを恐れ、その血脈から逃避してしまいたくなっていたものだと考えられる。しかし、ウルスラの言葉を聞いて、誰もが持つ才能ゆえの苦労を自分に近い感覚で分かち合い、理解してくれるウルスラに、キキは自らを見たのだと思う。
そして、この2人のキャラクター設定で最も印象的なのは、キキとウルスラの声優が同じだということ。2人の声は、声優の高山みなみが当てている。2人のキャラクター設定は全く別人のようにも思えるが、この「声優が同じ人物である」という事実が、2人を重ね合わせる手助けをしているように思える。ウルスラというキャラクターは、キキが思春期の「闇」を乗り越えて成長した姿であり、キキそのものでもある。ウルスラは、アイデンティティを喪失し、自己を見失ったキキに道しるべをしてくれる、第2のキキ(第2の主人公)であるといっても過言ではないキャラクターだろう。


ここからは、物語の終わりとキキのアイデンティティの確立へと向かってゆく。
ウルスラからのアドバイスを得た後、キキは、ゆるやかにアイデンティティを確立し、物語は飛行船からのトンボの救出の場面を経てエンディングへと向かう。
トンボを救出するにあたり、キキが使用したのは今まで使ってきた箒ではなく「デッキブラシ」という新しいアイテム。
キキが、箒ではなくデッキブラシを使用したことには、キキがコリコの街の人間としての自己を確立する手助けの意味がある。このデッキブラシはコリコの街の人間の物であり、新しい人間たちとの関わりを持つ第一歩を表したアイテムである。キキは、デッキブラシを使ってトンボを救出することで、思春期の「闇」の部分から完全に抜け出すことに成功する。この、デッキブラシを使用してのトンボの救出の描写は、過去の自分との決別をはかり、新しい自己を確立するとともに、コリコの街の人々からも受け入れられたというものだと思う。
魔女の宅急便」のエンディングの映像では、物語のその後のキキの姿が描かれている。ここでもキキは、箒ではなくデッキブラシを使っている。この物語のなかでの箒は、キキの「魔女である」ことへの自己認識のメタファーだと考えられる。箒を捨て、デッキブラシを使うようになったキキは、「魔女である」ことにこだわり続けた自己からの逸脱に無意識のうちに成功している。
そして、キキは、物語の最後に、トンボの救出という物語最大の「通過儀礼」を乗り越えたことで、コリコの街の人々たちとも打ち解け、思春期の「闇」の部分を抜け出すことに成功したといえる。キキは、過去の自分と決別したことで思春期の少女から少し大人へと近付き、知らず知らずのうちの自分自身の変化によってコリコの街に馴染み、人々と打ち解けあうことで、新たなアイデンティティの確立に成功したのかもしれない。
そして、「落ち込むこともあるけれど、私、この町が好きです。」というエンディングのラストのキキのセリフからも読み取れるように、おそらく、キキはこれからもまだまだ悩み続けることだろう。しかし、このセリフからは、確実なキキの心境の変化が読み取れる。キキは、コリコの街でのアイデンティティを確立し、大人へと成長する一歩を踏み出せたことで初めて「この街が好き」と言えるようになったのでは、と思う。

キキのキャラクターは、思春期の少女の葛藤を如実に描き出した、非常に不安定で変化の多いもの。これは「キキのアイデンティティの確立までの道のり」として見る「魔女の宅急便」において重要なはたらきをしていた。
そして、もうひとりのキキとして見るウルスラのキャラクター像は、13歳の少女キキが「通過儀礼」としての様々な困難を体験することで、思春期の「闇」の部分を抜け出し、アイデンティティを確立していくという『魔女の宅急便』の物語のストーリーに必要不可欠なものだったと、わたしは思う。(だからわたしはウルスラが大好きで、何年もLINEのアイコンにしてる)

魔女宅はじめ、ジブリ映画を観るといつも、こんな風にもっと純粋にいろんなことに出会えてたはずなのになあと思う。大人になるっていいか悪いかわからんなあと思う新年。